私が社会人になってから本格的に始めた趣味の1つに「山登り」があります。「山登り」といっても「ザイルを使った岩登り」や「冬山の縦走」まではしませんが、レジャーとしての「ハイキング」よりは少し本格的な登山をします。登山の世界に足を踏み入れたきっかけは、職場の敷地内で昼休みに行われていた「自然観察会」でした。月に1度、構内の野草や野鳥を観察する会がある、ということで何回か参加していたのですが、そのとき指導役をしていた私より30歳ほど先輩のY氏が、職場の中の「山の会」の会長でした。その方に「今度山に行くから一緒に行かないか?」と誘われて夏の宮城蔵王に登ったのが始まりで、結局山の会に入会して、ハイキング程度の軽い登山も含め年数回山に行く様になり、現在に至っています。
蔵王での「初本格登山」の3年ほど後、「北アルプスの槍穂縦走」に参加しました。日程やコースの難易度に応じていくつかの班に分かれて行動して穂高岳山荘で合流する「集中登山」でしたが、私の参加した班のリーダーは大先輩のY氏でした。上高地から槍沢を経て槍ヶ岳まではさほど難所もなく途中1泊でたどり着きました。槍ヶ岳付近で燕、大天井を縦走してきた班と合流します。槍ヶ岳から南岳までは岩場で結構険しい尾根が続きます。「大キレット」とよばれるあたりは断崖絶壁の岩場で、ひとつ手を滑らせれば数百m(もしかしたら1000m以上?)下の谷底へ転落、まず助かる見込みはありません。この様な場所では、四肢のうち3つは必ず固定して、絶対に同時に2つ以上を動かさない「3点確保」が基本です。ベテランのY氏のアドバイスで、安定した足場を確保しながら進みます。たまたま谷底が見えてしまって足がすくんでしばし立ち往生したり、背中のザック(10kgちょっとあります)でバランスを崩しそうになってヒヤリとする場面もありましたが何とか岩場を越えて比較的広く安定した尾根道に達しました。そこまできY氏が「今日通ってきた様な険しい場所では皆が慎重に行動するので、意外と転落事故は少ない。かえって一見何でもない様な場所で転落して命を落とす人が少なからず居る。難しい場所と危険な場所は違うんだ。」と教えてくれました。(続く)
難所を無事クリアして、その日は南岳小屋に泊まりました。小屋で食事をしていると、他のパーティーが持って来てつけていたラジオから「北アルプス穂高岳で松本市の会社員が転落死」というニュースが流れてきました。別の人が地図で「ここだ」と指し示す場所をみると、これから自分たちを含め、その場に居合わせた人たちの多くの通る場所である事が判明しました。詳しい事は判りませんが松本市在住と言うから、登山の経験もそれなりにある人ではないだろうか?年齢は20代だったから、いわゆる中高年の無理な登山でもなさそうです。思いがけなく身近な場所での事故のニュースにY氏はじめ我々のパーティー一同もちょっと暗い気持ちになりましたが、「自分たちは絶対に事故を起こさない様気を付けていこう!」と気を引き締めました。穂高岳山荘で涸沢方面から登ってきた班がさらに合流し大パーティーになって前穂高経由で最後の宿泊地である岳沢(だけさわ)を目指します。
この途中が先日のニュースにあった転落事故の現場です。良く整備されたつづれ折りのコースの曲がり角になっているところに真新しいネットが張ってありました。どうやらここが転落現場のようです。キレットの様な3点確保で這いつくばって進まねばならない様な場所ではなく、足だけで直立して歩ける場所です。ただし傾斜はかなりきつく、登山道は良く整備されているとはいえ所々小石が散在しています。つづれ折りの道の先は直立した崖ではないものの、滑り落ちればそのまま谷底まで停まれ無いかも知れません。
この「現場」を通過して、2日前にY氏から言われた「難しい場所と危険な場所は違う」という意味がよく判りました。なるほど整備された道を立って歩ける場所は、それほど難しいとは感じません。しかしこの事故のあった場所は、傾斜はかなりきつく足下も決して安定ではないので、特に下りで勢いがついていたりすれば、浮き石の上で足を滑らせて転倒ということは十分考えられます。尾根道の縦走の場合、小屋泊でも荷物は10kg近くになりますし、テント泊なら15kgくらいの荷を負う事は珍しくありません。ちょっとバランスを崩しても、荷物が重ければ姿勢を立て直せず転んでしまう事はよく有ります。「難所」でなくても、危険な場所はいくらもあるということを知らされる登山でした。
読者の皆さんの中で「偽りの安心感」ということばを聞いたことがある方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?日本語では余りなじみがない言葉の様に思いますが、英語の "false sense of security" の訳語です。英語ではしばしばニュースなどでも用いられます。意味は字面から想像できるとおり、「安心(安全)な様に思われるが、実は安全でない状態」のことです。
なぜ、この「偽りの安心感」が問題になるかというと、このような「安心感」のために人間が危険な講堂を冒してしまい、事故に遭うことが多々あるのです。もうお気づきの方も多いと思いますが、この「偽の安心感」がなければもっと警戒心をもって行動するはずなのに、本当は安全ではない物に安心してしまって、重大な事故を起こしてしまうことが現実に有るのです。
たとえば高い鉄塔の上で作業をするとします。転落すればおそらく命を失うでしょう。このような場所では安全帯を使用することになります。ベルトに付けた安全帯を正しく頑丈な支柱に固定して作業をすれば、万一バランスを崩して足を踏み外しても安全帯で宙吊りになっておそらく命は救かるでしょう。しかしたとえ安全帯を腰のベルトに付けていても、それをどこにも固定していなかったら、あるいは固定している場所の強度が不足していたら安全帯は何の役にも立ちません。そんなばかな、と思うかもしれませんが、実際にその様な事故が発生することがあるそうです。
安全帯が役に立たないなら、何も付けていないのと同じ事です。本当はいけないことなのかもしれませんが、実際の工事現場では、熟練したとび職は安全帯を使わないで作業している場合が有るようです。その場合は危険な作業をしている、と言う自覚をもっています。腰に付けた安全帯の取り付け先が一見堅固そうでも実際には体重を支えるだけの強度がなかったら、あるいは固定するのを忘れてそのことを失念していたら、どうでしょう。これがまさに「偽りの安心感」なのです。このような偽りの安心感は、危険な作業をするのに必要な緊張感を緩和してしまい、かえって事故の危険性を増大させてしまうのです。
先日のテロ事件(注:2001年9月11日の米国同時多発テロ)以来「セキュリティ」と言う言葉への関心が高まっていますが、多くの人が「安全」と思ってやっていることが、実は「偽りの安心感」でしかないことも有る様に思います。ほんとうの「安全」「安心」とは何かもう一度考え直してみる必要がありそうです。
このコラムでは、基本的に時事問題や季節に関する話題は扱わないことにしてるのですが、年の変わり目を目前にして1つだけ年末年始に関わる話題をとりあげてみます。
このごろ夜になるとクリスマスのイルミネーションが街のあちこちで輝いています。商店やホテルなどだけでなく、個人の住宅でも庭木やベランダにイルミネーションを飾るところが増えてきたのは、この10年くらいのことでしょうか。この際、異教徒の祭日なのに、とかエネルギーの無駄遣いだとかいうヤボな話はよしておきましょう。
「クリスマス」と「新年」の過ごし方について、日本と欧米の違いについて面白い話があります。おそらくラジオの英会話番組できいたのだと思います。「面白い違い」というのは「クリスマス」と「新年」の過ごし方が日本と欧米(キリスト教圏)でちょうど逆になっている、というのです。日本ではクリスマスイブに若者が街に繰り出し、カップルはホテルでディナーをします。一方大晦日は商店も早じまい、夜は多くの人が家でテレビを見て年越しそばを食べ、元日は家族でおとそにおせち、そして初詣に繰り出します。それに対して欧米ではクリスマスイブは家族揃って家でディナー、明けてクリスマスの日は教会に行く、というのが典型的。商店もイブには早じまい、クリスマスの日は休みの店も多いとのことです。一方「大晦日」の晩はNew Year's Eveといって若者達が盛り場に集まり花火を打ち鳴らして「カウントダウン」します。
これほど見事に対照的なのですが、よく考えてみれば、こちらは「八百万(やおよろず)の神と仏」の国、あちらは「キリスト教」の国です。そうなるべき必然性があると言うことのようです。
有名な「雑草という名の草はない」という言葉、本当のところ最初に言ったのが誰であるか定かではありませんが、昭和天皇の言葉として書かれているものを何度か見かけました。(有名な植物学者の牧野富太郎博士である、という話も目にしたことがあります。)ともあれ、私がこの言葉を聞いたのは私にとって「山の師匠」である、先にこのコラムにも登場した大先輩のY氏です。
Y氏は「歩く植物図鑑」と言っても良いほど山野草の名を熟知して居る方で、山を歩いていても道ばたでの草花を見て即座に「これは何科の何々だ」とすらすらと名前が出てきます。このY氏の説によると雑草とは、人間が田畑や庭園を造る際に邪魔になる植物を勝手に「雑草」と呼んでいるだけであって、山野の植物に「雑草」というのはあり得ない、とのことです。
なるほどそう言われてみれば、その通りと思います。農地や庭園は人工的に特定の種を育てる場所ですから、その目的に合わない物を一まとめにして呼ぶ名前があってもおかしくありません。それが「雑草」という言葉という訳ですから、畑で「雑草」と呼ばれるものは、畑以外の場所に生えていれば雑草とは呼べない訳です。
分類学では「界、門、綱、目、科、属、種」という「基本階級」とやらが有り、それにまた中間の「亜目」だの「亜科」が加えられたりするし、またこの分類も時代とともに変わったりしてややこしいこと限りないようです。自然観察の際には、多くの場合「科族種」くらいを知ればよろしいようです。植物でも動物でも「種」の名前を識別できるようになると随分親しみがわいてきます。私も観察会や山行の際に、いつもたくさんの名前を教えてもらうのですがなかなか頭に入らないのが悩みです。